素鵞熊野神社は、辻の天王原に祭られていた小社を、文治4年(1188年)に潮来の天王河岸へ移し、牛頭天王と呼んだのが素鵞神社のはじまりである。牛頭天王は八坂神社の祭神で、元来はインド祇園舎の守護神とされ、疫病除けの神として知られている。
文治4年(1188年)の遷座と牛頭天王を奉斎した背景には、潮来地方での疫病の流行などがあったものと思われる。また、伝承によれば熊野三社を参詣した村人が、その霊験を尊んで天正年間(16世紀後期)潮来に勘請したのが、本宮、新宮、那智の熊野三社権現である。
元禄9年(1696年)に牛頭天王は、一村一社の政策により現在地に移り、熊野三社権現と相殿になった。さらに天保15年(1844年)、牛頭天王は仏教色の強い呼称から、神道的な素鵞神社へと社号を改め、同時に熊野三社権現も熊野神社と名前がかわった。
明治10年(1877年)に長く相殿であった両社は、素鵞熊野神社となって現在に至っている。
祭神は須佐之男命、奇稲田比命、速王男命の三神で、境内社として神明神社、大六天神社、松尾神社、淡島神社、
金比羅神社、愛宕神社、大杉神社、稲荷神社を祭る。例祭に奉納される獅子舞と潮来ばやしは、県指定の無形文化財に、また境内の大欅は県の天然記念物にそれぞれ指定されている。
(出典:潮来町史)
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